サステナビリティ倶楽部レポート

第24号 『Beyond Compliance』の意味あい

2013年03月4日

●先進国と新興国の法環境の違い

今年度の調査プロジェクトとしてビジネスと人権のテーマを実施しており、新興国を中心とした人権課題について、国連や諸外国の動きと先行企業の事例を分析している。欧米主導で進んでいる人権課題への対応を調べてみると、このトピックについては法務専門家の関与が大きいことがわかってくる。そんななか、人権侵害の場面を通してコンプライアンスの認識違いを感じている。

コンプライアンスは事業活動の最低ラインであって、それを超えて自発的に取り組むことがCSRの基本だ。こうした背景には「明文化された法律がきちんとあり、当たり前に(公正に)それが実施される」という前提があり、日本や先進国は大体これに当てはまるだろう。これが新興国や途上国になると、状況は変わってくる。

では何が違うのか?新興国の多くでは政治体制の統治が不完全な地域が多く、国内法が未整備であったり、法規制があってもその施行が不十分であるということが多い。日常業務のなかでの政府との対応となれば、実務を進めるうえで役人への賄賂や汚職が一般化している。さらに紛争が勃発する地域では、政権自体が不安定だ。結局法規制があっても、実質的にそれは守られていないか歪められていることが実態だ。

こういった状況はステークホルダーの人権が侵害されやすい事態を引き起こしており、企業も意図的ではなくともこれらの侵害に加担してしまう。その問題の解決を求めるにしても、政府自体があてにならないのだから、そこで操業する企業にも責任が問われてくる。このような新興国で人権侵害に直面した場合、法令が企業の立場を守ってくれるとは限らないので、企業の担当者は相当な防衛努力をしなければならなくなる。

●Human rights=人間として生きるうえでの権利

企業にとっては生産拠点としての条件を備え、あるいは経済成長が見込める市場なのだから、カントリーリスクが高くても事業進出を躊躇していられない。そこで「郷に入っては郷に従え」で、その国の慣行に従って操業。そんな時、コンプライアンスをどう解釈したらいいのか。慣行に従ったことで人権侵害といわれたら、どうしたらいいのか・・。法規制に対応していれば会社側の最低責任は免れ、裁判で白黒つければそれで決着できる、といった常識は法令が整備され政府のガバナンスの効いている先進国のなかだけだ(先進国でも問題はあるが・・)。

日本企業においては、人権というと国内の労働問題や人種差別問題に限定したもので、対応も国内人事部の管轄にあることが多い。これに対して国際社会が取り上げている”Human rights”は「人間として生きるうえでの権利」であり、世界人権宣言で採択された「国際的に認められた人権」すべてが対象であって、かなり幅広い。従業員だけでなくあらゆるステークホルダーが、企業に対して生きるための権利を主張してくるのである。企業が対応すべきコンプライアンスの範囲が、ぐっと広がると考えた方がいい。

権利を振りかざしてくる主張に対して、思いやりや誠意ある対応といった姿勢は適切ではない。権利に対してどこまで折り合えるのか、実質的な条件提示を求めているのだ。新興国での多様な価値観の食い違いが、ビジネスのなかで露見する場面だ。

●現地法への対応だけでは不十分

仮に企業側が現地法を遵守していても、国際法の解釈のもとでは企業の活動姿勢が問われる部分も多い。労働基準が現地法で曖昧に設定されているような場合、そこの地域政府から許可が得られても、国際レベルで活動するNGOから指摘されるケースが多い。自社操業であればまだ管理の目が行きわたるが、昨今はサプライチェーンへのリスク分散で問題を見えにくくしており、それが侵害の度合を大きくしていることから、大企業の影響力への指摘が多い。

事業がグローバル化すれば、それに伴って国際レベルでの法的な専門性を持ち合わせることも必要なのだが、それが追いついていない。特に企業労務の専門となると、日本では国内労働法に絞った専門分野が重視されているため、国際的に認められた人権侵害に対応できる法務専門家が少ないところも課題だ。また日本の企業弁護士は、現行法のもとで判定するといったハードロー対応が中心であるため、CSR分野で一般的になっているガイドラインや枠組みといったソフトロー的な解釈が十分でないことも課題といえるようだ。

余談になるが、企業弁護士についての個人的体験をひとつ。社外取締役をやっていた時、ガバナンスについて重点的に勉強していたため何人かの弁護士の先生と話す機会があった。それも大企業トップに助言をするパートナーレベルの方ばかり。私はそれまで弁護士とは「社会的正義」を志とし、その軸に基づいて法的な判断をするものと思っていたが、企業法務の現場ではそんなカッコづけでないことを知った。企業弁護士の軸は「合理性(rationale)」であること、つまり企業がとるべき方策が法に照らしてどれだけ論拠可能であるかどうかだった。「それ」がいいか悪いかではなく、他事例なども引き合いにしてクライアントの意向に沿うように法律をうまく導くのが、辣腕の(企業が雇いたくなる)弁護士らしい。これが法曹界という特権意識の強いお方たちのお仕事。有能な弁護士って何なんだ・・・と思ってしまった。これに続いて以下を読んでほしい。

人権侵害については、法解釈よりも人道的な視点から問われることが多い。今回の調査でヨーロッパの主要企業にヒアリングをしたが、かなりの企業が法務専門家の助言を得ていた。そのなかには、NGO側で人道的な立場から法を解釈する人権派弁護士も多かった。法律に従ってYes/Noを判断するのではなく、現状についての筋道を論理立てそれに法的な解釈で補強し説得させる、といったアプローチを重視していると感じた。

たとえば統治が不十分な紛争地域であれば、裁判所が動いていない国も多い。裁判に持ち込み企業が訴訟に勝ったとしても、地域住民や従業員からの理解を得られずに暴動などの騒ぎに巻き込まれることもよく起こっている。裁判は公正な手段だと思いがちだが、政府は外資企業にいてもらいたいので、裁判所に企業有利の圧力をかけることが多いからだ。信用されていない政府を味方につけたところで、市民社会から反発をかってしまえば、結果企業の操業が事実上できなくなるという事態をまねく。

●最低限の防衛とそれ以上の柔軟な姿勢

だからこそ、お上が決めた法の枠にComplyしているかどうかではなくなる。ステークホルダーに対して人道的で柔軟な姿勢をもつものの、自社それぞれが合理的な判断をすることが求められる。「Beyond Compliance」には、権利の主張に対して、防衛すべき最低限を判断し説得するための法務の専門能力を持たなければならないことが込められている。

この先どの会社も直面する潜在的な課題であり、日本国内とは大きく異なる人権問題について専門的、戦略的に対応することが重要になっている。