サステナビリティ倶楽部レポート

第1号「成長なき繁栄」

2011年02月1日

●イギリス発の新しい経済学

イギリスの経済学者ティム・ジャクソン氏の「成長なき繁栄(Prosperity without growth: Economics for a Finite Planet)」を読んだのだが、今私たちが直面している問題について実にわかりやすく歪みを解説し、目指す方向を提案している。それが学者の論文口調でなく、何故行動しなければいけないか語りかけるようで、何とかしていこうじゃないか、というメッセージが伝わってくる。

ジャクソン氏はイギリス政府のアドバイザーとして、持続可能な発展委員会の経済委員を務めている。この委員会の報告書が2009年3月に発表され、出版物になったのはその年の12月なので、この論旨は1年以上前に公表されたものだ。私は昨年末にこの本のことを知ったのだが、それまで知らなくて損してた!と思うほど刺激的だった。英語のレポートや記事によく目を通すようになったものの、本一冊となると大変。細かいところは置いて、大きな流れを追うことにした。

●経済成長から人間としての繁栄へ

ジャクソン氏のメッセージは、 「このままの経済成長は無理であり、エコロジカルな範囲で人間力が繁栄する世界  にしよう」というものだ。現状の様々な経済・社会問題の歪みを、マクロ経済学を軸に一般人にわかりやすく解きながら、エコロジーやサステナビリティに行き着くという展開だ。環境主義者でない人でも納得せざるを得ないだろう。

まずは経済の尺度を貨幣価値としてきたことから考え直し、繁栄を「人間力としての充実」といった意味合いに再定義している。資源を使い続ける物質偏重主義の社会は、資源の枯渇という問題だけでなく、人間社会の問題も引き起こしているという。

これまでベースとしてきた経済成長を是認すると、どうしても「成長のジレンマ」に陥る。それを経済学者の立場から分析している。 ・成長は持続不可能である–少なくとも現在の様式では。資源消費の膨張と環境コスト  の上昇は、社会的な幸福(well-being)において深刻な格差を形成している。 ・‘脱成長’は不安定である–少なくとも現状下では。消費者需要の低下は失業を  高め、競争力を落とし、不景気のスパイラルを招く。

「行くも地獄、戻るも地獄」なのだ。私は、持続可能な範囲で、つまり環境受容量の範囲内の成長ならば可能と考えてみたのだが、そうした中庸な折衷策では生ぬるいということらしい。経済成長を否定しないと解決策にならないということだ。

こんな現代社会を作り出したのは、物質があふれ(materialism)それを消費することで満足感を得る(consumerism)ことをベースとし、それを拡大し続ける経済成長をよしとしてきたところに原因があるという。これは政治や経済のせいばかりではなく、消費者の一人ひとりの意識や思考の問題だ。

「ケインジアニズムと‘グリーン・ニューディール’」の章では、財政政策の基本4施策を解説しており、経済学徒でない私には大変勉強になった。4つ目のオプションが伝統的ケインズ経済学であり、環境版公共投資‘グリーン・ニューディール’が現在の資源・エネルギー問題を解決する政策に落ち着くかに思われる。しかし、これも結局は人間の物質主義に基づくもので、根本的な解決になっていないというのだ。

それではこれからどうしたらいいのか。そこで3つの提案をしている。 ・エコロジカルな限界を設定する ・(その範囲での)経済モデルを構築する ・消費中心の行動を変える

最初の提案では、有限な資源内で人間活動を営むロジックを「エコロジカルマクロ経済学」といっている。次の経済モデルは、格差をなくす雇用の方針やGDPに変わる国家勘定の提案をしている。さらに経済構造の変革だけではだめで、生活者であるすべての人々が意識変革を起こさねばならない、と呼びかけている。

●資本主義の次のスタイルか?

本の解説がメインではないのに、ポイントだけかいつまんだ。

環境経済学ならば、日本でも研究が広がっている。これは、外部不経済とみなされていた環境要因を既存の経済システムのなかに取り込んで説明しようというもので、環境と経済の両立を説くロジックだ。しかしジャクソン氏は物質主義につながる貨幣経済を否定しているので、これとも違う。人間として幸せであることに多大な関心を持っており、哲学とか社会学と経済学の融合というアプローチなのだ。

いうなれば、西洋人よりも日本人がずっとココロのなかで大事にしてきたようなことだ。しかし今のグローバル経済は欧米基準が国際基準となっており、こうした考えは絵に描いた餅で本当にできるのか・・・、と多くの人が思うだろう。ビジョンはいいけれど、実行できるのかとなれば悲観的と吐き捨てるかもしれない。

そう、これまでの延長で考えれば、あまり現実的でない。現行の構造を修正していくのではなくガラッと変えるもので、既得権益者の抵抗勢力は計り知れない。

しかし、なぜ経済学者までこのようなことを言い出したのか。今という時代を鑑みると、あながちNOではないと思える。この本の推薦者たちは「これまでのやり方(Business as usual)のなかにオプションはない」といって、多くが賛同している現状なのだ。

ジャクソン氏は、資本市場については触れていない。最後にそっと”The end of capitalism?”と書き添えているのみだ。私には、敢えて触れなかったのではないかと思えてならない。つまり、資本市場が機能しなくなる日が近く、この書は今の構造がリセットしたあとのPost-capitalismの目指す方向を描いている、と。それは20世紀スタイルが続くのではなく、非連続な断層のなかで人間社会をどう永続していくかにある、といいたいのだろう。

資本主義がうまく回っている時代にはディープエコロジストが発想していたロジックだが、そうもいっていられないのでは、そんなことを考えさせられた。