サステナビリティ倶楽部レポート

[第85号] やることがある限り生かされる

2018年08月20日

 

●病気になってわかる健康のありがたさ
働き方改革で、会社でのワークスタイルの見直しさらには個人それぞれの生活様式まで広げて働くことをどう位置づけるか、といった議論が進んでいる。
私自身も、早い頃から独立という立場を選んでこれを展開し続けている。しかし、生活も仕事も自分が健康でいられてこその選択。病気の予防はしても、健康が脅かされることまであまり考えないものだ。

これまで大きな病がなくてよかったが、このたび子宮と卵巣にがんが見つかり3月に手術を受け摘出した。がん部位を取ってしまえばスッキリおしまいなのかと思いきや、術後の治療がセットになっており、抗がん剤投与を受けてそれが終わり一区切りついたところだ。

今や2人に1人ががんになるという時代だ。自分だってそれは十分あるはずなのだ。
頭でわかっていてもいざ診断されると、「えっ、ワタシが・・」「一体どうなるのだろう・・」といわれぬ不安にかられる。婦人科の検診を遠ざけてきたことを思い返しながら、そういえばあの時あぁだったのはこのためか、その時に来ていれば・・などと「たられば」になる。

がんであっても現代医学を使わずに対処できるならその方法をと、食事なども気をつけるようにして来た。抗がん剤などとんでもない、拒否しよう、と思っていたものだ。
しかし実際にそう診断され進行していることを自分でも実感すると、やはり手術するしかないか、となる。病院にかかる以上現代医学や先生方を信頼しなければ、かえって悪い結果になるだろう。

●がんでも働ける
そんな考えで病院の選択など思いあぐねているうちに体調が悪化。考える余地もなくすぐに入院することになり、その治療に続けて手術となったので健康不安もひとしおだった。

結局他器官への転移はなく、思っていた以上に順調で手術は無事に終了した。
それでも気になるのは今後、仕事ができるのかだ。独立の立場では時間は柔軟にできるものの、自分が動けなければそれでおしまいだ。

社外取締役は組織の一員ではあるが、非常勤なので社員と同じように病欠扱いができるのかどうか。取締役会への出席が責務なのに、それができない取締役って何なんだ・・。これは自分から辞すると言うべきなのではないか・・・などと考えたものだ。

会社に話してみると、懇意に対応してくれ欠席は気にせず治療に専念するよう言われてホッとする。病欠の制度はちゃんとあるのだから気にかけることはないものの、人事部に話してみないとそんなことが結構わからなくて、いらぬ心配をする人は多いだろう。

●生かされていることを意識
それよりも大事なことは、病気をしたことをどう受け止めるかだろう。
医学が発達して治療できるのだからそれでいいじゃないか、というわけではない。病気をするのは身体への警告であり、今の生き方へのメッセージだと思っている。これまでの生活に問題があったはずだ。なので、病気が治ったとしてもまた同じように生きるべきではない。

単に休みを増やすとかではなく、メッセージを生活や働き方に反映させるかだ。
徐々に快復して生活は続けていけるとわかり、これからどんな生き方をしたらいいかと漠然と考えていると、今回の一連の経緯から自分は「生かされているな」と感じるようになった。
  「やることがある限り、生かされるのだ」と。

もともと神社界の家系に生まれ、自然信仰の類にはずっと関心を持ってきた。この入院はかなりギリギリのタイミングだったのだが、手術はちゃんと間に合った。何というか、計らってくれたように思える。

これまで自分の精神や肉体は自分のもので自分が動かしていると思っていた。それが何か大きなチカラのもとで、人間は「生かされている」と理屈抜きに感じる。いつまで生きられるかどうかは自分が決めることじゃない。そんなことは心配しなくていい。命があるということは、それなりの役割があるということなのだ。あとどれくらい生きられるかよりも、確実に生きている今何をするかを意識したほうがいい。

これまでと同じ気持ちで生きるのではないとすると・・。
同じ路線の仕事をしても、意識が変わると違ったやり方が見えそうだ。一方これまで私がやることではない、と受け付けなかったことの中に自分の役割があるものが出てくるようにも思う。人生の最後の方を過ごしたいと思っている場所への移動も、あまり遠くない時期に実現するのかもしれない。

●同じ境遇をシェアし励ましあう
一体何をしたらいいかは、誰かが教えてくれるわけではない。
自分がやることだな、と感じて私がまず始めたのが、がんであることを自分から伝えることだ。話してしまおうと思えるようになるまでしばらくかかったが、自分で気持ちが整理できてくると言ってしまっても何とも思わなくなる。むしろ周囲の方が気を使ってしまう、皆さんに気を使わせていることがわかってくる。

そこで弊社の研究会も例年通り6月から開催し、最初にがんの手術をしたことを皆の前で話した。大勢の前で話すことには躊躇するものだが、ここで言うことも生かされていることの一つだと思うと問題ない。会合は30人ほどで女性は数名の規模。その中で終わってから個別に「私もがんなんです」と言ってくる方が出てきた。2回目の会合でも別の女性が同じように話しかけてきた。

皆同じように思い悩んでいる。同じ境遇ならばこの気持ちがシェアできるだろうし、また先に経験していれば不安について励まそうという気持ちになるものだ。会社にきちんと話すまでの最初の期間にいろいろ知りたいものだ。問題なく休めたとしても、病気で先が見えない時は「このまま働けるだろうか」と思ってしまうものだ。うまく快復して仕事に戻ったところで、病気のことを身近に話せることは心の支えになるものだ。

そんなふうに考えると、がんを患っても働けることを示すことが今後やることの一つなのだろうと思えてくる。これからも働き続けていれば、それを見て皆さんが力づけられるだろう。病気になって仕事をどうしようと思うものの、それを表にできず余分に悩んでしまう人が多くいるはずだ。そんな方達に向けて何かできることがありそうだ。

個人の力になるだけでなく、企業がもっと理解を進め仕事を休みやすくすることもやるべきことなのだろう。病気をしたらといって引かなくてすむ職場こそ、働き方改革の目指す方向なのだから。

今ある命を前向きに生きよう。