創ゾウ人〜世界を視る、地球で感じる〜

海野発祥の地を訪れる

2019年04月11日

 

海野の発祥は、長野県の上田と小諸の間あたりにある「海野宿」です。現在の地名では東御(とうみ)市になります。

 

観光協会からこの地の歴史を見てみると・・・

“海野宿は寛永2年(1625)に北国街道の宿駅として開設されました。北国街道は、中山道と北陸道を結ぶ重要な街道でした。佐渡で採れた金の輸送、北陸の諸大名の参勤交代のほか、江戸との交通も頻繁で善光寺への参詣客も多くありました。

 寛保2年の大洪水によって隣接する田中宿が被害を受け、本陣が海野宿へ移されてからは、伝馬屋敷59軒、旅籠23軒と、たいへんな賑わいを呈していました。

 明治に入り宿場機能が失われてからは、養蚕の村へと移り変わりました。

 海野宿は伝統的な家並みが現在まで保存されていることから、昭和61年には「日本の道百選」に、62年には「重要伝統的建造物群保存地区」に選定を受けています。”

 

宿場町ということで、街並みが再生されているのです。

今まで知らなかったわけではないけれど、訪れるのは久しぶり。というのも、初めて行ったのはもう30年くらい前で、今の保存事業に選定される前でした。なので、このような美しい街並みはなくて普通の古くなった家屋の通りだったのです。がっかりして戻って来て、それ以来興味なくなっていた・・。

 

今ではだいぶ力を入れているのがわかります。

入り口にある海野灯篭も、その一環で設置されたもの。

妻籠宿や馬籠宿のようにかなり再生されて観光のスポットになっている宿場街のように十分でないけれど、逆に人が多すぎると雑然としてしまうことに比べればここはまだ静かです。

 

民族資料館に行って芳名帳を見てみると、全国の海野姓の方々が来てました。私も名前を記して・・。

今では海野宿に海野姓は誰も残っていないんです。この地方出身の豪族であるものの、長い歴史で合戦に敗れてこの地から各地に散ったのです。そんな中私の先祖は群馬県吾妻郡に逃れた少数派で、現在の海野の多くは静岡に移った者の末裔がほとんど。

 

ちょっとノスタルジックでした。

 

 

サステナビリティ経営ネットワーク
Emerging Myanmar Now!バナー
海野みづえが語るミャンマーの最新動向 (Powered by 長田広告)

サステナビリティ倶楽部レポート

CSRを企業戦略として提唱している、海野みづえ(創コンサルティング代表)が発行するメールマガジンです。地球と社会が大きく変動しているなかで、経済や経営をどう持続可能にしていくかを考えレポートしていきます。購読は無料です。配信は月1回を予定しています。